リドヴォーでシャンパーニュ。

ちょっと珍しい病気になってしまったコピーライターの日記です。

50代からの肉体と学習意欲。

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ひさしぶりにラジオ体操、できた!

 

「何か運動していますか?」と聞かれて

「毎朝、ラジオ体操を」と答えると、なんだか微妙な顔をされる。

 

ラジオ体操って・・・・運動って呼べるの?

いや、私にもいまひとつ自信が持てないが、

実はけっこう何かに効いてると思うんですよ、ラジオ体操。

 

胸腺腫の手術を受けてから20日

今朝は、ラジオ体操第1・第2を端折ることなくできた!

 

もともとお粗末な筋力がますます落ちることを危惧し、

退院前から、スクワットなどできる運動だけは続けていたものの、

やはり右脇部分に胸腔鏡手術での傷が3ヵ所、

ドレーンを挿入した後の傷が1つあるため、

体の右側を伸ばしたり、

腕を大きく回すなどの動作ができなかった。

 

それが、一昨日に抜糸したことから

かさこそとした違和感がなくなり、

あらゆる動きがスムーズに。

 

肉体は衰退の一途・・・だったが手術をきっかけにリセット

 

あれは娘が5歳くらいの頃だったか、

一緒に公園で鉄棒にトライし、

すでに「逆上がり」ができなくなっていたことを自覚したショック。

関節の可動域は狭くなってきたし、

からだが徐々に衰えてきたのを実感するばかりの50代。

だからこそいま、日々できることが増えていく喜びは実に大きい。

病んだからこそ感じられる、じわじわと回復する嬉しさ。

 

このまま調子に乗って鍛えれば、

そのうちマラソンとか走りたくなるのかも・・・

 

残りの見えてきた人生だから、やりたいことをやる!

 

それはさておき、病気を経験したことをきっかけに、

これからの人生でやりたいことがいろいろクリアになってきた。

 

そのひとつが、「大学を卒業すること」。

実は私、某大学の法学部を2年で中退し、

その後ジャーナリスト専門学校を卒業。

学歴コンプレックス…とまではいかないけれど、

どこかで中退という経歴に引け目を感じていたような気もする。

 

そこでこの春から、通信制の大学に編入して、

新しいことを一から学んでみようと思っている。

 

ちなみに、いま気になっているのはこの大学。

とりあえず明日、都内で開かれる説明会に参加してみようと思う。

www.kyoto-art.ac.jp

 

世界でいちばん面白くない闘病ブログ、かもしれない。

2月13日、退院後2週間の外来へ。

 

「いかがですか、体調は問題ありませんか」と、

いつも通りにこやかなハンサム熊さんドクター。

 

「おかげさまで痛みもほとんどなくて、鎮痛剤は一度も使っていません。

退院したその日から仕事できたので助かりました~」

「それはよかった。じゃ、追加のお薬は必要ないですね」

 

そして、核心の病理診断結果へ。

「やはり胸腺腫で間違いありませんでした。

7センチとかなり大きかったんですが、

周りに浸潤する前に見つけられて、本当によかったですね!」とドクター。

「そんなに大きかったのに、胸腔鏡で出してもらえて・・・

本当にありがとうございました! 

絶対切るって思っていたので、びっくりです」

「まあ、かなり難産でしたけどね。うまくいってよかった」

 

やっぱり、ここでも「創生のくるしみ」だったのね。

 

易占で授けられたキーワード「創生のくるしみ」については

こちら↓

kgrapevine.hatenablog.com

 

病理の結果もおおむね問題なし

 

「もう病理の結果は出ているんですよね。病期は・・・」

「そうですね、Ⅰ期ということでいいでしょうね」

 

胸腺腫は浸潤や転移の度合いからⅠ~Ⅳ期に分類され(正岡分類)、

Ⅰ期は「肉眼的に完全に被包され、

顕微鏡的にも被膜への浸潤を認めない」というもの。

つまり、もっとも軽微な状態といえるだろう。

また、病理組織は「AB型」(WHO分類)。

Aがもっとも良性だが、B型の腫瘍細胞も混在している状態。

完全に良性とはいえないものの、悪性度は低いということらしい。

 

 胸腺腫の概要や病理について↓

www.ncc.go.jp

仕事も旅行も温泉も、もちろんお酒もOK

 

その後傷口を診てもらうと、

「傷の治りも順調ですね!

腫瘍は完全にとれているので、

治療はこれで終了です」とあっけないくらい。

 

「特に生活で気を付けることはありますか?」

「なーんにもありませんよ~仕事も旅行も運動も、なんでも大丈夫です」

「温泉に入っても?」

「もちろん、問題ありませんよ。普通の人と何も変わりません」

 

ドレーンを抜いた後の抜糸を終えて、外来終了。

会計を済ませ、(個室入院だったので結構な金額になり、

カード会社に交渉して限度額を一時的に上げてもらう💦)

文書課でがん保険請求用の診断書を引き取り、本日のタスク終了。

 

バイバイ、私の胸腺腫

 

病院の外に出ると、

朝にぱらついていた雨も上がり、ぬけるような青空が。

「とりあえず、終わったんだなあ」と、

爽快なような、ちょっと寂しいような気分になる。

私の毒を固めて体の外へ持ち去ってくれた胸腺腫、バイバイ。

 

10年ぶりの健診で見つかった腫瘍。

温かく有意義なアドバイスをくれた友人たち。

最速でアクセスできた医療機関と、

凄腕なのに癒し系のドクター。

切開せずに胸腔鏡下で摘出され、

大きさの割に悪性度が低かった腫瘍細胞。

思えば、何もかもがラッキーだったとしかいいようがない。

 

闘病ブログとしてはかなりつまらないかもしれないが、

もちろん、波乱万丈を望んでは罰が当たる。

私の胸腺腫とのおつき合いは、ここでひと段落となりそうです。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

(あ、ブログはぼちぼちと続けていきます!

心の元気の秘訣になっていますから)

 

 

 

今週のお題「元気の秘訣」

“健診行かない派”だった私が、ぎりぎりで希少がんを発見できたワケ。

亡くなった父が繰り返し夢に・・・

 

20万人にひとりの希少がん、胸腺腫。

胸骨や心臓の蔭に隠れてレントゲンに写りにくいため、

発見された時にはものすごく大きくなっていたり、

転移や播種を起こして手術ができない場合もあると聞く。

 

そもそもフリーランスで健診の習慣を持たないわたし、

特に3.11の原発事故の後は極端に放射線リスクを恐れ、

レントゲン撮影をかたくなに拒んできた。

 

今回、比較的腫瘍は大きくなっていたものの、

周辺臓器への浸潤はなく、手術でまるっと摘出することができた。

抗がん剤放射線治療も必要なし。

「よく見つかったね」「ラッキーだったね」と言われることも多い。

そんなとき私は思う。

「虫の知らせ」って、本当にあるのかもしれない、と。

 

昨年の春から夏にかけて、7年前に亡くなった父の夢を何度か見た。

内容はごく淡々としたもので、普段の生活の中に、

あたかもまだ生きているかのような父が登場するというもの。

夢の中の私は、父が故人であることを忘れ、特に不思議にも思わない。

 

繰り返し見るのでふと気になって、ネットの夢占いを見てみると、

「亡くなってもう何年も経っている親が出てくる場合は、

夢主が危険にさらされていることを教えようとしている」とある。

 

10年ぶりの健康診断で一発発見

 

他にも、親しい人が大病を患う、といったことも重なり、

約10年ぶりにきちんとした健康診断を受けてみたのだった。

しかも、人生で初めてのCTとMRIも含まれた念入りなやつを。

そうしたらまんまと、6センチ大の前縦隔腫瘍が見つかったというわけ。

 

正直言って、小さなころから父は私にとって煩わしい存在で、

あまり相性が良くなかったし、愛情を受けている実感もなかった。

でも、10年ぶりの健診で悪性の病気が見つかったことは、

父からの最後のプレゼントだったのかもしれないな、と。

 

そして今ふと気づいたのだけど、今日はまさに父の命日!

(本当に今気づいたのです(゚д゚)!

 

こんな薄情でダメな娘を、助けてくれて本当にありがとう。

 

手術から1週間。すでに日常感いっぱい・・・

1週間前の今頃は、がん病棟で

いやいやながら焼きそばを食べ、

ようやく点滴やドレーンを外してもらっていた頃・・・

そう思うと、ふと不思議な気分になる。

 

30日に退院し、その日のうちに

急ぎの請求書作成に追われ、

31日は終日自宅でのんびり。

翌土曜日は、母と娘と3人でご近所ディナー。

スパークリングワインを1杯だけいただく。

日曜日はネパールランチの後、カラオケ!

 

そして3日月曜は朝10時から午後4時まで、

レギュラーの仕事のオリエンに参加。

日常が帰ってきた!と思いきや、

昨日は一転、朝から気怠くて眠気がとれず、

急ぎの仕事に着手してみたものの捗らず、

2度寝、3度寝してしまうありさま。

やはり、一昨日のオリエンで疲れたのと、

退院後の一時的な達成感による脳内物質が切れたのかな、と。

 

そして今日は、夕方から銀座で新たなオリエンが。

何しろ今一番怖いのは傷口を刺激されることなので、

ラッシュに重なりそうな帰宅時は、タクシーが無難かも。

がん病棟のエレベーターで、空気が凍りついた瞬間。

ややさかのぼり、あれは退院の前日。

 

ドクターから、肺炎予防のためになるべく歩くよう言われていたので、

検査や食事の合間に院内を散歩していた。

 

もちろん、患者然としたパジャマ姿のまま、

1階のセブンイレブンを物色してからエレベーターに乗り込み、

ドアが閉まろうとする寸前、

二人の女性が駆け込んできた。

 

60代後半と、50代後半と思われる二人組。

どちらもメイク濃い目でつやのない茶髪パーマ、

スナックのベテランママとチーママ?という雰囲気。

「13階で〇〇ちゃん待ってるって~」

「え~そうなん?」とわちゃわちゃしながら

階数ボタンを押す気配もないので、

「13階ですか?」と聞いてから代わりにボタンを押す。

 

特に礼を言うでもなく、話を続ける二人。

そして、ベテランママが突然こう言い放った。

「がんセンターってことは、ここにいる人みーんな、がんなんだあ」

 

一瞬、エレベーター内の空気が凍りつくが、

意にも介さないママとチーママ。

13階でドアが開くと、わちゃわちゃしたまま降りて行った…

ちょうど同乗していたスタッフの女性がこちらを見て、

「ごめんなさいね」みたいな目で語りかけてくる。

 

正直、むっとしたとか腹が立つとかではなく、

びっくりしたというのが正直な気持ち。

ここまで無神経な人がこの世には存在するんだなあ、と。

 

ママの言葉には、

「ここにいるのはがんにかかって可哀想な人たち、自分じゃなくて良かった」

みたいな差別意識がにじみ出ているように感じてしまった。

こういう物の味方って、あらゆる差別やレイシズムにつながるような気がする。

人種や性別、職業、性的嗜好などなど、

あらゆる「属性」に縛られ過ぎることから差別意識は生まれるのだと思う。

「自分が属する何か」が正しい、もしくは普通で、

「それ以外の何か」は普通じゃない、もしくは忌むべき存在。

 

50年も60年も生きて来て、そんな狭量な世界観しか身に着けず、

その言葉を聞いた誰かがどんな気持ちになるかさえ想像できない人たち。

 

でも、自分だって、いつの間にか安全圏から

人を傷つけてしまう可能性があるかもしれない。

がん病棟のエレベーターで味わった、

ちょっとしたこの心の揺らぎを、

しっかり記憶にとどめておこうと思った次第。

退院日。「7㎝」の腫瘍を「2㎝」の穴から引き出せた秘密は・・・

退院前に解消したい疑問があった

 

手術からわずか3日、1月30日に退院。

 

実は退院する前に、どうしても確認しておきたいことがあった。

 

・本当に手術は「完全胸腔鏡下」で行われたのか

・どうやって、「7㎝」の腫瘍を「2㎝」の穴から引き出せたのか

・「胸腔鏡下では無理」と言われていたのに、なぜそれが可能になったのか

 

胸腔鏡手術についてわかりやすいサイト↓

www.jfcr.or.jp

 

 外来、さらに入院した日の説明でも、

「手術は胸の脇を5センチほど切開して行う。

概ね4cm以下の腫瘍の場合、完全胸腔鏡下で行うことも可能だが、

それより大きな腫瘍の場合、結局完全には取り切れなかったり、

無理をして腫瘍が弾けてがん細胞がばらまかれてしまうリスクがあるため、

基本的に切開が必要。ただし、骨や筋肉は切らない」と言われていた。

それが一転、「完全胸腔鏡下手術」になったのはなぜか。

本当に腫瘍は完全に摘出できたのか、

それが私にとって最大の疑問点なのだった。

 

 爽やかイケメンドクターに聞きました

 

7時半に、副担当ドクターB(高身長・癒し系イケメン)が、

「〇〇さーん、おはようございます!」と爽やかに登場。

これは願ったりかなったり、

3人の担当ドクターの中で一番親しみやすいタイプ。

この先生にならいろいろ聞きやすい!

 

「あの・・・胸腔鏡で7センチの腫瘍を摘出するって、

かなりすごいことじゃないんでしょうか?」

「そうですねー、実はかなり難渋しました!」

「診察の時、W先生は、4㎝までの腫瘍なら胸腔鏡もあり得るけど、

画像上は5.5㎝だったので、『切開する』ときっぱりおっしゃっていました。

なのに、実際はそれより大きい7㎝のものを

胸腔鏡で摘出できたのはどうしてですか?」

爽やかイケメンドクターはにこやかな表情を崩さず、

「〇〇さんの腫瘍は、表面がすごくつるんとしていたうえ、

かなり縦長というか、紡錘形をしていたんです。

なので、『あれ?これなら引き出せるんじゃね?』ということになったんです」

「でも、開ける穴は約2cmと聞きますから、物理的に無理なんじゃ?」

「まあ、かなり、時間はかかりましたね。でも、何とか、こんな感じ?」と、

軟体動物が、小さな穴から必死に這い出すようなジャスチャーをしてくれる。

「ああ、なるほど!そんな感じなんですね!」

 

イメージ図↓

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まるで、必死にこの世に生まれてこようとする赤ん坊みたい。

(いや、このイラストだと必死に抗っていますけどw)

すごいなー、私の腫瘍。

そしてなによりも、わずか2㎝の穴から7㎝の腫瘍を

一生懸命引き出してくれた、

ドクターの熱意と技術に感謝でいっぱいです!

 

すっかり「ガッテン!」した私はようやくすっきりして、

最後のレントゲン検査、朝食、荷造りをすませ、

お世話になったドクターや看護師さんにご挨拶をして帰宅したのでした。

 

次の外来は、2週間後!

手術翌日のつづき。回復食は、まさかのソース焼きそば!

痛みも思ったほどではないし、何より手術の結果が良かったことで、
俄然気持ちが上がってきたわたし。
そうなると猛烈な飢餓感に襲われ、とにかく何か食べたくて食べたくて。

午前中は点滴やドレーンをガラガラと引き連れて4Fのレントゲン室へ。
車椅子も用意できるそうだが、試しに歩いてみると何とかいけそう。

そして・・・待ちに待ったお昼ご飯!
おかゆと梅干、卵焼きにお味噌汁なんかいいなーと思っていると、
運ばれて来たのは、まさかの焼きそば!

 

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ソース焼きそば、けっして嫌いじゃないけれど



いやいや、さすがにこれはないでしょ。
ツナと大根のサラダ、バナナを貪り食べた後、焼きそばに箸をつけるが、
うーん、ちょっと食べる気がしない。
でも、お昼ご飯を食べられないと点滴を外してもらえないので、
何とか半分ほどを口に運ぶ。
別にまずくない、むしろ美味しいんだけど・・・
丸々1日半絶食した後のソース焼きそば・・・

「どのくらい食べられましたかー」と看護師さん。
「えと、半分は食べましたけど、まさか焼きそばとは。
おかゆか何かだと」
「ああ、そうそう今日は『麺の日』なんですよねー
先生から、なんでももりもり食べていいって言われていますから」
そうですか、じゃあ、ビールはいつから飲んでいいのですか?
とは、さすがに聞けなかった。

その後、副担当医A(濃い顔・クール系)に
うざかった点滴やドレーンを外してもらい、晴れて自由の身に!

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ハンバーグにじゃがいも煮、茄子のお味噌汁など

ちなみに、夕食はハンバーグ定食。
これはご飯以外、ほぼほぼ完食できました。