リドヴォーでシャンパーニュ。

ちょっと珍しい病気になってしまったコピーライターの日記です。

ちょうどいいペースで働けている。やっぱり、仕事運は最強かも。

今日は朝から、某美容カタログのコピーを黙々と書いている。

10年来のレギュラー仕事だけど、働けることのうれしさをしみじみと…。

フリーランス20年にして、こんな新鮮な気分が味わえるのは、

「死」を意識し始めたおかげかもしれない。

 

病気が発覚してからの1ヵ月、

なぜか仕事の依頼がぱたりと止まり、

(とはいっても2~3件の打診はあったが)凪のような状態に。

 

実はこの状況、かなりありがたかった。

やはり気持ちは平静とはいえず

先のスケジュールもはっきりと見通せない部分があったから。

 

しかし、先週の外来で手術が1月以降に延びたところから、

再び新規の依頼や、ペンディングになっていた案件がパタパタと動き出した。

今週予定されているメインクライアントの新製品発表会にも出席できるし。

 

仕事関係者には、病気のことはまったく知らせていないのにね。

不思議だなあ・・・

昔から仕事運だけは良いと思ってきたけれど、改めてその強さを実感。

 

このまま何事もなく、師走を駆け抜けたいものだ。

 

バケットリストを実行したい。いや、まだ棺桶には入らないけど

 成長しないで欲しいもの。

 

成長するって、素晴らしいこと、喜ぶべきこと。

でも、こと病気になると事情はちょっと違う。

 

希少がんの一種「胸腺腫」の疑いを指摘されて約1ヵ月。

ほぼその診断で間違いなさそうということで、

入院・手術の申し込みはしたものの、

有名国立病院、中でも呼吸器外科の有名なドクターが執刀ということで、

患者さんは100人待ち。手術は早くても2か月後になるという。

 

そうなると気になるのは、

その間に腫瘍が「成長してしまうのでは?」ということ。

 

そもそも胸腺腫というのは通常のレントゲンには映りにくく、

自覚症状もほとんど出ないため、気づいた時にはかなり大きくなっていることが多い。

私の腫瘍も、現在5.5センチ。

悪性の可能性は低めとはいえ、できれば早く取りたい。

でも、2ヶ月は無理。

 

経験者に聞いてみた!

 

そこで昨日、乳がん経験者の友人に電話をして、

この段階で別の病院を受診してみるのはどうかと相談してみた。

 

私の焦りに対して理解を示してくれる彼女。でも、

「私の経験からいえば、それはやめたほうがいいと思う」ときっぱり。

実は彼女も昨年乳がんが再発した時、7月に自覚症状があり、

検査結果が出たのは8月中旬。そして手術は12月にまでずれ込んだという。

乳がん、しかも再発でもこれが現状なんだ。

まるでタピオカ屋の行列のように、延々と並んで待つしかない患者たち。

「でも、その間に腫瘍が成長すること、ないのかな」

「大丈夫。よほど進行の速いがんでない限り変わらないはず。

もちろん、今の診断や術式に疑問があるとか、

ドクターを人間的に信じられないとかの理由があれば、

セカンドオピニオンを受診する価値はあると思うけど」

「いや、むしろ今提案されている術式は私もベストだと思うし、

何よりドクターの実績は申し分ないし、人としても信頼できる、

ぜひこの先生に手術して欲しい」

「だったら、待つしかないね」

 

経験者の言葉には説得力がある。

元々、自分でもそれが最善とわかっていたけれど、

ある意味命がかかっているだけに、変に往生際が悪くなってしまう。

しかし彼女との会話で、ようやく腹をくくる決心がついた。

 

やるべきことはもちろん、やりたいこともやる!

 

あと2ヶ月、病気のことはあまり考えずに普通の生活をしよう。

しっかり仕事をして、娘との時間や会話をたくさん持って、

友達と楽しく飲んで、忘年会にもなるべく出て、

クリスマスにはチキンを焼いて、

年末にはどこか暖かいところに旅行をしよう。

最高の人生の見つけ方」じゃないけど、

これを機会にバケットリストを実行に移してみるのもいいかもしれない。

 

腫瘍は、日々成長する(かもしれない)。

だけど、私もそれに負けずに成長するのだ!

外来のち、築地場外でちらし寿司(ビールは我慢)

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病院のすぐそばには築地場外市場。いつも賑わっている。
検査結果にどきどき、2回目の外来

 

病院に向かう日比谷線の車内で、中吊りのキャッチコピーに心をつかまれた。

「努力か、才能か、いや体調だ」

宮沢氷魚のビジュアル、「ボディメンテ」の広告。

体調は別に悪くないけれど、今のシチュエーションだと、やけに沁みる。

 

午前は呼吸器外科・W先生の外来、

午後は麻酔科医との手術前外来とWで受診。

先日のPETやら心電図やら血液検査などの結果を受けて、

新たな診断が下され、手術の術式とスケジュールが決まるのだ。

「最悪、転移があったらどうしよう。抗体検査でMGが見つかったら・・・」

ちなみにMGとは「重症筋無力症」のこと。

手足に力が入らなくなったり、眼瞼下垂を引き起こす病気で、

胸腺腫と合併するケースが多いことで知られている。

 

 診察室に呼ばれたのは、チェックインして約15分後のこと。

大病院はとにかく待ち時間が長い印象だが、ここは意外に早くて助かる。

今日もにこやかで白衣の似合うW先生。

「体調はいかがですか?」

「おかげさまで変わりありません」

「筋無力症の症状はありませんか?」

「はい、特に自覚症状はありません」

いつも目が微笑んでいる感じなので、緊張感がほぐれる。

「ハンサムな熊さん」みたいな癒し系ドクター。

「サバねこ主義さんのPET画像には、特に心配なところはありませんね。

まずは転移がなくてよかったですね。」

ふううううう、今日最大の安心ワード、いただきました!

「腫瘍の部分もそれほど光っていないので、悪性度は低そうです。

なので、胸腺がんではなく、胸腺腫の疑いでいいと思います。」

「はい、ありがとうございます」

「そこで、まずは手術ということになりますが、

腫瘍の大きさは約5.5センチあり、胸腔鏡では引っ張り出せないので、

やはり切開ということになります。

しかし、右わきを5センチくらい切るだけで大丈夫だと思いますよ。」

放射線抗がん剤は・・・」

「今のところ必要ないと思います。」

はああ、よかった。とりあえず、一番ましなパターン。

あとは別のドクターと手術のスケジュールを決めるということで、

今日の診察は約3分で終了!

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まさかの100人待ち!手術は年明けに

 

しかし、12月に手術とすっかり決めこんでいたのだが、何と患者さん100人待ち。

「年内はまず難しいですね。1月、もしかすると2月に入ってしまうかも」

と、スケジュール担当の若いドクター。

手元のカルテらしきものには、一番上に「お元気」と書いてある。

そうか、私がぴんぴんしてるから、どうしても後回しに・・・。

腫瘍を抱えたまま1ヵ月以上も暮らすのは不安だが、仕方ない。

緊急度の高い患者さんもたくさんいるんだろうし・・・。

結局、今日手術日が決まるわけではなく、

担当者から手術の1週間前に電話があるまで待機ということに。

 

若干拍子抜けではあるが、12月がまるまる使えるということは、

昨日打診された新規の仕事も入れられるし、

ぼちぼち入っている忘年会にも出席できる、わーい。

午後の麻酔科の予約まで時間があるし、築地場外で、ひとりちらし寿司。

さすがにビールは飲まなかったけど。

しかし、下手するとあと2ヶ月も腫瘍ちゃんと一緒かー。

先はまだまだ長い。

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神楽寿司でランチちらし、1600円。味はふつー、ちょっとお高め。

 

静岡県熱海市梅園町。引っ越し11回目にして、本当に「住みたい街」に住む!

「引っ越し貧乏」の星のもとに生まれて

 

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駒込の自慢は六義園。これから紅葉のシーズン

引っ越しが好き。街の不動産屋が好き。不動産検索サイトで間取り図を眺めるのが好き。これはほとんど趣味というより、宿痾(しゅくあ)みたいなものかもしれない。

生まれたのは、茨城県土浦市。大学入学と同時に東京都北区・十条のアパートに住み、その後埼玉県川口市、東京・国立市、豊島区北池袋、結婚して西川口戸田公園、離婚して豊島区巣鴨駒込、再婚して文京区湯島、そして今住んでいる北区・西ヶ原に建売住宅を購入し、さすがに気軽に移転しづらくなって15年になる。

それだけ住処を転々としながらも、本当に「住みたい街」に住んだことは、実は一度もない。若い頃は予算に合わせて妥協するしかなかったし、今の家はそこそこ気に入っているけれど、本当は文京区内に住みたかった。

 

海辺の街に住みたい、できれば温泉付

 

そしていま、私には住みたい街がある。それは、静岡県熱海市梅園町。

「都会を離れて海か山のある街に住みたい」と考えるようになったのは、ここ数年のこと。とはいえ、高校生の娘の通学の都合があるので、今すぐ地方に移り住むわけにはいかない。

そこでひらめいたのが、「熱海にセカンドハウスを持つ」というアイディアだった。

リゾートマンションを借りて、週に何日かそこでひとりで過ごせたら…。フリーランスなので通勤の必要はないし、最近では、打合せもほとんどメールと電話で済む。熱海なら移動の時間やコストもコンパクトだし、私がしばしば留守になれば、夫と娘の家事スキルも否応なしに向上するだろう。

実際に熱海の賃貸物件を探してみたところ、熱海から一駅の「来宮」に手頃な賃貸リゾートマンションが見つかった。

 

海が見えるリゾートマンション、最高!

 

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熱海市梅園町、リゾートマンションから見える海

東京からこだまと伊豆急行線を乗り継いで、初めて降り立った「来宮」。熱海から近いのに驚くほど静かで、良い意味で閑散としている駅前。

熱海の梅園に隣接したそのリゾートマンションは、かなり理想に近い部屋だった。駅から徒歩で約10分、ベランダからほど良い距離に海が見え、24時間使用できる大浴場もある。家賃は7万5000円。

すぐにでも申し込みたいところだったが、実はひとつだけ気がかりなことがあった。それは、ちょうどその数日前に受けた人間ドックの結果。

特に気になる症状や体調不良があったわけではないが、今年は身近な人の大病、年下の友人の乳がんが再発したりと、何となく我が身を振り返るきっかけがあったので、自費で脳ドック、全身MRI、CTの健診を受けていたのだ。今まで健康診断でひっかかったことなどほとんどなかったのが、今年はなぜか虫の知らせのようなものがあった。

来宮のリゾートマンションを借りる決心はついていたが、とりあえず健診の結果を待ってからにしようと思った。

 

え、わたし「がん」なの?

 

人間ドックの報告書が届いたのは、その2日後のこと。そこには、「胸腺腫・胸腺がんの疑い」という不穏な1行が記されていた。聞いたことのない病名なので始めはピンと来なかったが、ネット検索をするうちに、いわゆる「希少がん」の1種であることがわかった。

「え?わたし、がんなの??」

じわじわと衝撃がやってきて、混乱、葛藤、後悔、自虐などなどいろんな感情が押し寄せてくる。

それから具体的に診てもらう病院を探し、国立がんセンターで診断を受けるまでのあれこれは、ここまでのブログに記したとおりだが、12月に入院・手術の段取りとなり、いまはベッドの空き、手術の具体的なスケジュールが決まるのを待っている状態だ。さすがに、リゾートマンション♪どころではない。これから医療費もどんとかかるわけだし。一年後の自分がどうなっているかも定かではない。

 

今度こそ、「住みたい街」に住む!

 

今日は2019年11月18日。明日、精密検査の結果を受け、主治医と麻酔医のダブル受診。どんな術式になるのか、入院・手術のスケジュールも大体決まることだろう。まさにまな板の上の鯉というのか、覚悟ができているようなできていないような?でも、私の気持ちは妙に明るい。

国立がんセンター中央病院は、築地にある。明日、午前中の診察を終えたら、場外の食堂で何か美味しいものを食べよう。立ち食い寿司か、もつ煮丼?そうすると、ビールも1本つけたくなるな。そう思える能天気な自分は、とりあえず大丈夫な気がする。

来月手術を終えたら、お正月は熱海で過ごすのも良いかもしれない。手術の跡はまだ目立つかもしれないけれど、個室の露天風呂がある宿を奮発しよう。

そうしていずれ落ち着いたら、改めて熱海・来宮の部屋を借りたいと思う。遠くに海が見えるあの部屋は、もうすでに借り手がついているかもしれないな。でも、きっとまた新しい部屋との出会いがあるだろう。

私は今度こそ、「本当に住みたい街」に住むんだ。それは多分、静岡県熱海市梅園町。

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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by リクルート住まいカンパニー

病は「創生の苦しみ」?なんだかちょっと宗教チックだけど

94歳の占い師、鈴木昶園先生とのセッションは、

姓名判断から始まった。

実は私は、2つの名前を使い分けている。

仕事やプライベートのほとんどは旧姓、

娘の学校関係や公の書類のみ、結婚後の姓。

つまり、旧姓の方が自分の運勢により影響を与えていると思われるが、

その画数が今一つなのだという。

昶園先生、「じゃ、ひとつおまじないをしましょうか」と、

名前の一番最後に「、」をひとつ打つことを提案してくれた。

気休めみたいなものだが、藁にもすがりたい私は素直に同意。

 

次は四柱推命で、なぜか私と娘のことを詳細に占ってくださる。

私の本命星は一白水星、娘は六白金星、

相性がとてもよくふたりとも運は強いのだが、

娘の裏の星には、「苦労をする」という暗示があるという。

「これはあなたの病気のことかもね」と先生。

 

そ、それで私の病気はどうなんでしょう。

私、近々死ぬんでしょうかね!?

ここでついに易占の出番。

筮竹をざらざらっとやる、あれですね。

「では、病気の成り行きについて占いましょう」

さまざまな卦が出て、どうやら不穏な暗示も出ているようで

冷や汗が流れ出るほど緊張する。

たかが占いとは、いまはどうしても思えないのだ。

「中間に障害あり。噛み砕いて通れ、と出ているわね。

つまり、胸の中間、胸腺に何かあるけれど、大丈夫と。

じゃ、次に対処法を」

同じように筮竹を扱い、最終的に出た卦は、

「創生の苦しみ、新しい自分を生むための苦しみ」というもの。

今は病気という困難があるけれど、

乗り越えた先には、より良い自分が生まれるという。

 

最後に先生は、手相を観てくれた。

(前回はこのオプションはなかったから、

あれから勉強されたのかもしれない。

大泉の母の手相本がテーブルの上に置いてあったし)

「生命線の内側に、もう1本生命線がある。

これは二重生命線といって、生きる力が強い証拠よ。

それに、感情線に向かって降りている2本の縦線、

これはめったにない幸運の相なの。(名前があったけど忘れた)

だから、あなたは絶対大丈夫よ」

 

チャイムを押してから先生のお宅を辞するまで

トータル3時間。

料金はわずか2000円。

あまりにも膨大な結果をいただいたために、

結論を咀嚼しきれない感じもあったけれど、

いくぶん軽くなった気持ちで帰途についたのだった。

 

新しい自分を生む、創生の苦しみ。

そう思うことができるのなら、

病むことにも意味があるのだろう。

 

藁にもすがる思いで、易占に。

胸腺腫・胸腺がんの疑い。

 

人間ドックの報告書にさりげなく書かれた、不穏な一行。

すべてのはじまりは、ここだった。

 

それから、国立がんセンターを受診するまでの1週間は、

永遠のように長く、気持ちがアップダウンを繰り返し、

じたばた、悶々と、落ち着かない日々だった。

 

ひとくくりに胸腺腫といっても、良性と悪性があるらしい。

もし悪性なら、まわりの臓器、肺や心臓、血管などに浸潤し、

命にかかわる状態になっているのかもしれない。

最悪の想像が頭を駆け巡るが、

娘にいらぬ不安やストレスを与えたくないので、

なるべく平静を保つように心がけていた。

ちょうど仕事の状態は落ち着いていたので、

普段から日課にしている六義園への散歩に出かける途中、

ふと思い出したのは、15年以上前に見てもらった

巣鴨の占い師のおばあさんのこと。

当時は仕事や結婚のことを占ってもらったのだが、

かなり的を得ている印象があった。

当時も結構なお年だったし、まだやられているだろうか・・・

確信のないまま、巣鴨に向かった。

 

地蔵通りの入り口を左折して数分の古いマンションに、

「易占」の看板がまだ掲げられている。

細く隙間の空いたドアから中の気配を伺いつつチャイムを押すと、

ややあって「はあい」という返事が。

「どうぞお入りください」という声に従いドアを開けると、

私は軽く衝撃を受けつつ三和土にたたずんだ。

まあ、典型的なゴミ屋敷の様相を呈している。

衣類やごみや食器、紙類などなどがいたるところに山となり、

玄関から見える和室の真ん中には敷きっぱなしの布団らしきものも。

しかし、不思議に異臭などはなく、

空気がそれほど淀んでいないのが救いではあった。

 

緩慢な動作でこちらに近づいてきたのは、

真っ白な髪で小柄なおばあさん。

以前お会いした時と印象が違うような気もしたが、

何しろ15年以上経つのだから仕方がないだろう。

 

部屋の一番奥のテーブルの前に座るように促され、

ふつふつと後悔の念を湧き上がらせつつも従った。

目の前にはなぜか、茶色く酸化したりんごが2切れのった皿と、

開封して洗濯ばさみで留めたせんべいの大袋が2つ。

テーブルの上は、その他ごちゃごちゃと

訳の分からないもので埋め尽くされている。

けっこう綺麗好きな私にとっては、

ストレスが溜まりまくりそうな空間である。

椅子の上でもぞもぞと居心地悪く体を動かす私の前に、

易占のおばあさん「鈴木昶園(しょうえん)」先生が

にこやかな表情でお座りになられた。

 

 

 

 

 

「リドヴォー」、シャンパンに合いそう!

胸腺に腫瘍がある、と聞かされたとき、

酒好きで食い意地が張った私の脳裏に

最初に思い浮かんだのが「リドヴォー」。

つまり、フレンチでたまに出てくる「仔牛の胸腺」料理だった。

とはいうものの、この中途半端に長い人生の中で、

リドヴォーを食べた経験は、たった一度。

23歳の頃、当時住んでいた国立のビストロで、

「リドヴォーのトマト煮込」的なものをいただいた。

何しろ相当昔なのでうろ覚えだが、

ぷりぷりっとして、なかなか美味しいものだったような。

ちょっと調べてみたところ、焼肉屋では

「シビレ」という名前で供されているのだとか。

 

国立がんセンターで「胸腺腫」と診断されたとき、

なぜかお腹がぐううっと鳴った。

なぜかというか、当たり前なのだが、

その日は病気がどう診断されるのか不安で、

朝からほとんど何も食べていなかったから。

 

とりあえず、画像に写る腫瘍の形状から良性の可能性が高いこと、

当初6センチと言われていた大きさが、4.7センチであること。

胸腔鏡手術で摘出するには微妙に大きいが、

正中線の切開ではなく、腋の部分を小さめに切開する

比較的負担の少ない方法で手術ができそうだということ。

そして何より、担当のW先生の感じがとても良く、

この人になら信頼してお任せできる!

という実感が得られたことがとても大きかった。

 

初めての診察から検査、会計を済ませ、

その足で銀座三越に向かった私は、地下2階のオーガニックデリの店へ。

メニューの中からどれを選ぼうかと迷っていると、

体操のお兄さんみたいに元気で愛想のいい男子が、

揚げたてのカキフライを爪楊枝に差して「どうぞ」と差し出してくれる。

かりっとした香ばしい衣、みずみずしくジューシーな牡蠣の風味。

10時間以上ぶりの食べ物、何て美味しいんだろう!

「あーー、シャンパン飲みたーい。旨いもの食べたーい」と

心と胃袋が叫んでいた。

希少がんだけど、わたし結構大丈夫かも?

と、久しぶりに思えた瞬間だった。